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取材撮影コーディネート

カサブランカ空港内、出国ロビー左50M
日本人デザイナーが企画製作したオリジナル商品/高品質伝統品/アンチック/トアレグ銀細工/革バック/ベルベルキリム、絨毯各種/バッブーシュ/寄木細工/民族衣装他豊富
マラケシュ近郊情報

■ 列車でマラケシュを目指すと「ピンク色の町」が乾いた大地を割って現れ、澄んだ空気、雲一つない青い空と18万本のナツメヤシが強烈な太陽と共に人々を迎え入れる。「南方の真珠」と謳われるこの町は、1070年ムラビト朝のユーセフ・ベン・タシュフィーニーにより都となる。その息子アリが灌漑用水路を整備し、サブ・アフリカからの隊商がもたらす金と象牙、スペインからの富で町は大いに潤った。帝国はアルジェリア、スペインまで勢力を伸ばし、スペインはアンダルス地方より職人を呼び寄せ、町をアンダルス様式の建物で彩った。12世紀ムワッヒド朝はその多くを破壊してしまうが、一方でスルタン、アブド・エルムーミンはクトウビアやメナラ庭園の建設に取りかかる。その後もスルタンらはアグダル庭園を始め、哲学学院やカスバを築き、ヨーロッパとの交易を奨励し、町は皮革と砂糖の精製で名を馳せる。しかし、1199年のヤコブ・エルマンスールの死により、国内は分裂し始め、弱体化する。そして1269年メリニド朝は都をフェズに移し、町の衰退が決定的になる。さらに新しいルートの開発により金の入手が困難になり、また飢饉が起こり町の機能をほとんど不能にしてしまう。町が再び日の目を見るのは16世紀にサアード朝が都をマラケシュに移すまで待たなければならない。

■この時代に、「勝利王」あるいは「黄金王」と呼ばれるアフメド・エルマンス−ルはトンブクトの獲得、つまり金の獲得、ポルトガルからの戦争賠償金を得、それをダール・エル・バデイ、サアード朝廟墓、メデイナ、メッラー(ユダヤ教徒地区)等の建設に使う。ヨーロッパとの貿易も発展し、各国の外交官、商人が町を闊歩し、マラケシュは絶頂期を迎える。17世紀前半アラウイー朝のスルタンはマラケシュよりフェズを好み、その次のスルタンも都をメクネスに構え、町は首都の地位を失い、凋落する。18世紀の半ばにスルタン・モハマド3世が25年間町に留まるが、1912年の保護領条約により都はラバトに移される。現在は実質的に南部モロッコの首都として機能し、世界中から観光客を集める魅力的な町となっている。

【野外レストラン”シェ・アリ”】の民族音楽騎馬ショーは楽しい。市郊外10キロ余りのやし林の中に突如現れる宮殿のような野外施設、モロッコ各地から集められた多数の民俗芸能団が観光客を持て成す。テントの中で食べるモロッコ料理に舌鼓を打ち、クライマックスは騎馬軍団が空砲を打ち鳴らし走り去る。ショーは午後9時頃から始まり、午後11時頃、フィナーレを迎える。冬場はけっこう寒いので要注意送迎付き。

【クラシック馬車で巡る古都マラケシュ】普段観光客が立ち入り難い旧市街の迷路や、王宮前広場、そして美しいアグダル庭園などを幌付きのクラシック馬車で巡るツアーは人気が高い。光が最も美しい黄昏時、オレンジや季節の花々の香りを頬に受け、まるで王様にでもなったような気分で赤く染まる世界遺産の古都マラケシュの旧市街から新市街を駆け抜ける。4人定員で普通は1時間コースが快適だ。     (右写真:城門を抜けると王宮前に着く)



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