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取材撮影コーディネート

カサブランカ空港内、出国ロビー左50M
日本人デザイナーが企画製作したオリジナル商品/高品質伝統品/アンチック/トアレグ銀細工/革バック/ベルベルキリム、絨毯各種/バッブーシュ/寄木細工/民族衣装他豊富
首都ラバトの見どころ

ラバトの歴史は、ローマ人到来と共に繁栄、フェズとマラケシュで王朝が栄えれば衰退、その後ムワッヒド朝の都から海賊共和国への変遷…と波瀾万丈である。前8世紀頃には、ラバトを流れるブーレグレグ川河口シェラーのあたりに原住民がいたと言われている。その後フェニキア人、ローマ人の衛星都市として発展し、特にローマ人の定住地はサラ・コロニアルと呼ばれ、ローマ帝国滅亡後も発展し続け、その後のベルベル人国家の基礎となる。7世紀後半、東方からアラブ人が新宗教イスラム教を持ち込み、ローマ人はこれを信奉するようになる。788年モロッコ初のイスラム王朝、イドリス朝がフェズにて成立、1056年にはマラケシュのムラビト朝が成立。それによって、サラ・コロニアルは蔑ろにされ港は沈泥で塞がり、町は衰退の一途をたどる。10世紀頃、ブーレグレグ川の北方に新しく街ができる。(現在のサレ)そこに住んでいたゼナタ族が南部の異端、スペイン人に攻防するためリバート(要塞)を作る。[左上写真:モハメッド五世廟の衛兵]

12世紀、アルモハッド朝の頃、戦いに区切りをつけスペインからのリコンキスタ勢力に対抗するため、リバートを城塞にする。 ムハヒッド朝の王、ヤコブ・エルマンスールはついにスペインに勝利し5キロにおよぶ城壁を作り、ラバトは王朝の首都となる。この王は西方イスラム圏で最大のモスクの建設を望み、1196年モスクの建設を命令する。しかし、わずか3年後の彼の死によって工事は中止され、同時に王朝も衰退。現在残っているのは、ハッサン塔と呼ばれるミナレットのみだ。17世紀、レコンキスタで南スペインを追われたイスラム教徒がラバトに流れ込み、海賊共和国を興す。サレとラバトはひとつになって、アメリカからスペイン、ポルトガルに戻る軍艦、商船を攻撃し、彼らがアメリカから得た金、奴隷を没収し、17世紀後半にはブーレグレグ共和国を建設するまでになる。

ウダイヤカスバのアンダルシア庭園
各スルタンはこの海賊行為を止めさせようと試みるが、持て余し結局数々の条約を海賊と締結し、1818年、ついに海賊共和国を滅亡させる。18世紀後半、スルタン、モハマド・ベンアブアッラーは短期間だがラバトを都に制定し、それに続き1912年のフランスとの保護領条約締結が一度はフェズにおいた都をラバトに戻し、現在に至る。[左写真:ウダイヤカスバのカフェーよりの光景]

■海に突き出たウダイヤのカスバ内はブルーと白い壁が囲む迷宮の世界。昔海賊が横行した河口を眺めながらのカフェーで一息。大西洋の爽やかな風が疲れを癒してくれる。城内のアンダルシア庭園も美しいし石段の旧市街も素敵だ。遥か彼方の海上に・・・見えるはずもないポルトガルの街が現れて消えた・・・。
[右写真:ポルトガルの砲台跡付近で寛ぐモロッカン]



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