2月1日。犠牲祭(レイッド・ケビール)だ。数日前から、モスクから流れてくる祈りの声もいつもより長くなり、メディナの中は宗教的な雰囲気がするかと思えば、通りには売られて来た羊があふれている。例年通り一家に一頭の羊を屠り、神に感謝を捧げるイスラム最大のお祭だが、優しい目をしたモコモコした羊が行ったり来たりする様は、彼らに凶暴さが全く無いだけに、素直に「羊さんありがとう」という気持ちにもなってくるが、そんな羊の値段も年々高騰してきていると聞く。2000dh(約2万5千円)からが羊1頭の相場というから、メディナに住む人々の平均月給に限りなく近く、家計を圧迫しているというのも事実らしい。借金をしてまで羊を買うとなると笑えない話だが、「この大祭をつつがなく迎えたい!」と想う庶民の切なる気持ちは、「鏡餅を準備してお正月をつつがなく迎えたい!」想う日本人の気持ちにも似ているようで、モロッコ人達に、ある心の張りをもたらしているようでもある。深夜タクシーなどに乗って、「僕は、家族に羊を買うためにこうして夜中も走って仕事をしているんだよ!」などという涙ぐましい話を運転手からしみじみと聞かされると、なるほど、とうなづく事もある。
上写真/メディナ近くに特設「羊スーク」が立つ。お金を払うのも、羊を荷車に載せて運搬するのも、ひたすら一人、お父さんの仕事。犠牲祭最大の「犠牲者」は実は・・・お父さん!?
さて、犠牲祭当日は、朝9時半のお祈りが終わった頃に「そんな大事な羊を屠る」儀式に臨む家庭が多いようだ。コーランを唱えて、一家の主が頚動脈に一気に刃を入れる。毎年の事で慣れているのかと思えば、やはりそんなことはないらしく、お祈りに行ききちんと心の準備を整えた人でないと、とてもこんな血しぶきのあがる儀式は怖くて出来ないものなのだそうだ。家族たちにもそんな主の気合いは伝わるらしく、解体作業や掃除など主婦や子供達も仕事を分担、チームワークもいい。1時間も経てば、まだ温かい羊は、生肉の塊となって肌寒いタイル敷きの中庭に、わずかに湯気を放ったまま吊るされる。一番最初に食べるところは「肺」。ターメリックやクミンなどのスパイスで味付けし軽く煮込む。また、「胃の周りにある薄い脂身」で巻いた「肝臓」もパプリカなどをまぶして七厘で焼いて早めに食べるところ。お母さんがこれらを次々に素早く取り仕切る。「無理してまで羊を買って、わざわざ屠る必要があるのか?」というモロッコ人自らの賛否両論もあるが、もうもうとあがる七厘の煙の中、家族で食卓を囲む風景を見ると、一大行事を終えた主と緊張感の解けた家族のひとりひとりの顔は、やはりとても誇らしげに満ち足りて見え「家族の大切な行事なんだな」という気がする。
表に出ると、頭焼き屋さんらが登場していて路地は煙でいっぱい(解体した羊の頭だけを路上で焼いてくれる。焼きあがったものを数時間後持ち帰り、次の日クスクスにして食べたりする)。
午後からは親戚などを訪ね合ったりして、メディナやフナ広場は人で溢れる時間だ。しかし、どうしたわけか、いつもより路地にひと気が少ない。それもそのはず、今日はサッカー・アフリカ杯の中継がテレビで2試合もあるのだ。この祝日に、サッカーが大好きなモロッコ人達がこれを見逃す筈がない。開いているカフェで友人達と談笑しながらテレビに見入る人、家でお母さんの淹れたミントティーを飲みながらのんびりと観戦する人・・・。一年最大のひと仕事を終えた後の過ごし方は、どの国も少し似ている。こうして犠牲祭の一日は、ほんの少しずつ時代と共に変化しているのかもしれない。
上写真/男達の社交&リラックス・スペースはカフェ。テレビ観戦でくつろぎのひと時。お疲れ様です!
photo&text 藤田麻里