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Produced by MARI FUJITA
いよいよ、犠牲祭の日がやってきた。祭の日にふさわしく、マラケシュは快晴である。いつもは朝から賑やかなジャマ・エル・フナ広場も今日ばかりは、ひっそりとしている。ほとんどの商店は閉まっていて、広場周辺に3つもあるモスクから、アザーン(お祈りの時を告げる声)だけが、いつも以上に大きく聞こえる。 と、そこに乗合タクシーが次々に止まり、中からは、長靴にジャンパーといった出で立ちの、一見した所いかにも田舎の人、といった風情の男達が降り立ち、メディナの中に入って行く。この男達、実際田舎の人というのは本当だが、今日の犠牲祭のために町までやって来た、羊屠りの仕事人なのである。そういえば、こころなしか眼光も鋭い(ような気がする)。一口に羊を屠るといっても、その後の皮はぎ(!)や内臓出し(!!)などを含め、年に一度の行事としても一般人には大変な作業である。町の人の中には、よく慣れた田舎のプロフェッショナルを雇う人も多いのである。 一方、メディナの中にある我が家でも、いよいよその時が迫ってきた。中庭のタイルはきれいに掃かれて、羊の蹄の音が不安に響く。一家全員が揃い、今や仕事人の到着を待つばかりである。女の子達は、この数日間と同じように羊の頭を撫でたり話し掛けたりしている。その時は、不意にやって来た。2人の仕事人が入って来て、家の主と軽く挨拶を交わすと、素早く仕事にとりかかった。分担して羊の頭と背中を押さえると、家の主が「ビスミッラー」(神の名において)から始まるコーランの一節を小さくつぶやき、と同時にナイフを入れる。女の子達は目をそらし、鮮血が飛ぶ。しかし、それは一瞬の出来事だ。彼女らはすぐに用意してあった水を撒き、解体の手伝いと後片付けにとりかかる。ひたすら淡々と、家族の一人一人がそれぞれに年に一度の仕事をこなしてゆき、仕事人たちが数十分後に立ち去ったとき、羊は、頭と毛皮をとられた単なる巨大な肉として、中庭のバルコニーから吊るされた頑丈なロープに掛けられ、まだ生暖かいまま、かすかに湯気を上げていた。(左写真・後ろ足の腱で吊られている) まるで流れ作業のように黙々と仕事をこなす彼らだが、小さな子供たちはそうではない。可愛がっていた羊が目の前で屠られたので怒って泣いている子、切られた羊の頭がまだ温かいから触ってごらん、と父親に言われて、そうっと触った瞬間に後ろから「わっ」とか言われてびっくりしてまた泣き出す子・・・。これでは、なまはげを見せられて大泣きする日本の子供と、さらにそれを見て喜ぶ親父の姿にそっくりではないか。こういう、祭の緊張の後の緩和的ギャグ(?)は、子供にとっては相当に腹立たしいものだが、後に何故か思い出となって、世代や民族に関係なく繰り返されるものらしい。 表に出てみると、件の草売りもナイフ研ぎ屋も勿論なくなっていた。替わりに、あちらこちらのモスク前の小さな広場では、もうもうと煙が上がっていて、羊の頭焼き屋が登場していた(羊の頭を持っていくと、焚き火で焼いておいてくれるらしい)。人々は、モロッコの正装、白いジュラバに着替え、子供達を連れて晴れ晴れとした顔で歩いている。外国に働きに出ている人達もこの祭の時には帰って来ていることが多く、親戚や友人を訪ね合って旧交を温めたり、みんなでこの日を祝うのである。 あちこちを訪問し、夕方、家に帰ると、お母さん自慢の羊の内臓の煮込みや、ケバブ(串焼き)が用意されていた。家族みんなでほおばる料理は特別においしい。羊のクスクス、羊のタジン、レバ焼き・・・どれも新鮮な為か、羊のおいしさを改めて知る。泣いていた子供たちも今は笑っている。中庭に吊るされた肉は少しずつ切り取られ、なくなるまで延々と羊料理が続く。しかし、こうした一連の鮮やかなイメージの一つ一つは、来年の犠牲祭まで失われることは無いだろう。 「ねえ、ツナのスパゲッティを作って」しかし、一週間もした頃、羊を堪能し尽くした家族の誰かから、私に、こんなリクエストが出て来始めた。ああ今年もお祭りは終わったんだな。こうして、マラケシュの日常の生活が戻ってくる。text&photo 藤田麻里 羊の頭焼き屋。メディナは煙で充満する。 カバブ(串焼き)を皆でつくり、七厘で焼く!
いよいよ、犠牲祭の日がやってきた。祭の日にふさわしく、マラケシュは快晴である。いつもは朝から賑やかなジャマ・エル・フナ広場も今日ばかりは、ひっそりとしている。ほとんどの商店は閉まっていて、広場周辺に3つもあるモスクから、アザーン(お祈りの時を告げる声)だけが、いつも以上に大きく聞こえる。 と、そこに乗合タクシーが次々に止まり、中からは、長靴にジャンパーといった出で立ちの、一見した所いかにも田舎の人、といった風情の男達が降り立ち、メディナの中に入って行く。この男達、実際田舎の人というのは本当だが、今日の犠牲祭のために町までやって来た、羊屠りの仕事人なのである。そういえば、こころなしか眼光も鋭い(ような気がする)。一口に羊を屠るといっても、その後の皮はぎ(!)や内臓出し(!!)などを含め、年に一度の行事としても一般人には大変な作業である。町の人の中には、よく慣れた田舎のプロフェッショナルを雇う人も多いのである。 一方、メディナの中にある我が家でも、いよいよその時が迫ってきた。中庭のタイルはきれいに掃かれて、羊の蹄の音が不安に響く。一家全員が揃い、今や仕事人の到着を待つばかりである。女の子達は、この数日間と同じように羊の頭を撫でたり話し掛けたりしている。その時は、不意にやって来た。2人の仕事人が入って来て、家の主と軽く挨拶を交わすと、素早く仕事にとりかかった。分担して羊の頭と背中を押さえると、家の主が「ビスミッラー」(神の名において)から始まるコーランの一節を小さくつぶやき、と同時にナイフを入れる。女の子達は目をそらし、鮮血が飛ぶ。しかし、それは一瞬の出来事だ。彼女らはすぐに用意してあった水を撒き、解体の手伝いと後片付けにとりかかる。ひたすら淡々と、家族の一人一人がそれぞれに年に一度の仕事をこなしてゆき、仕事人たちが数十分後に立ち去ったとき、羊は、頭と毛皮をとられた単なる巨大な肉として、中庭のバルコニーから吊るされた頑丈なロープに掛けられ、まだ生暖かいまま、かすかに湯気を上げていた。(左写真・後ろ足の腱で吊られている) まるで流れ作業のように黙々と仕事をこなす彼らだが、小さな子供たちはそうではない。可愛がっていた羊が目の前で屠られたので怒って泣いている子、切られた羊の頭がまだ温かいから触ってごらん、と父親に言われて、そうっと触った瞬間に後ろから「わっ」とか言われてびっくりしてまた泣き出す子・・・。これでは、なまはげを見せられて大泣きする日本の子供と、さらにそれを見て喜ぶ親父の姿にそっくりではないか。こういう、祭の緊張の後の緩和的ギャグ(?)は、子供にとっては相当に腹立たしいものだが、後に何故か思い出となって、世代や民族に関係なく繰り返されるものらしい。 表に出てみると、件の草売りもナイフ研ぎ屋も勿論なくなっていた。替わりに、あちらこちらのモスク前の小さな広場では、もうもうと煙が上がっていて、羊の頭焼き屋が登場していた(羊の頭を持っていくと、焚き火で焼いておいてくれるらしい)。人々は、モロッコの正装、白いジュラバに着替え、子供達を連れて晴れ晴れとした顔で歩いている。外国に働きに出ている人達もこの祭の時には帰って来ていることが多く、親戚や友人を訪ね合って旧交を温めたり、みんなでこの日を祝うのである。 あちこちを訪問し、夕方、家に帰ると、お母さん自慢の羊の内臓の煮込みや、ケバブ(串焼き)が用意されていた。家族みんなでほおばる料理は特別においしい。羊のクスクス、羊のタジン、レバ焼き・・・どれも新鮮な為か、羊のおいしさを改めて知る。泣いていた子供たちも今は笑っている。中庭に吊るされた肉は少しずつ切り取られ、なくなるまで延々と羊料理が続く。しかし、こうした一連の鮮やかなイメージの一つ一つは、来年の犠牲祭まで失われることは無いだろう。 「ねえ、ツナのスパゲッティを作って」しかし、一週間もした頃、羊を堪能し尽くした家族の誰かから、私に、こんなリクエストが出て来始めた。ああ今年もお祭りは終わったんだな。こうして、マラケシュの日常の生活が戻ってくる。text&photo 藤田麻里
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