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取材撮影コーディネート

カサブランカ空港内、出国ロビー左50M
日本人デザイナーが企画製作したオリジナル商品/高品質伝統品/アンチック/トアレグ銀細工/革バック/ベルベルキリム、絨毯各種/バッブーシュ/寄木細工/民族衣装他豊富
親父と息子(11歳)、サハラをバイクで走る!

「もう時間がないな・・・。」
もうすぐ夏休み!梅雨空の続くうっとうしい大阪の空の下で、時折、日が微かに射すときがある。遠慮がちに鳴き始める蝉の声にまたやってきた永遠の夏を感じ、ふと12000KM以上も彼方のあの砂に埋もれた禁断の世界を?思ってしまう。地球の果てのあの遠い国へ家族全員が詣でる季節が近いことを行者の如く武者震いを持って理解する自分がある。25年前に偶然関わったあの国に今も暮らし平凡な日々が流れる。私にとってあの国は地中海の溢れんばかりの陽光の中に存在し、その一方で荒涼たる砂漠の中に埋もれた幻である。バイクでサハラを旅したカリスマライダー”加曾利隆氏”の記事に感動しいつかサハラを走ってみたい・・なんて思いながらずるずる歳を重ね続ける我が身の限界を感じる今日この頃・・。
そうだ、今回はサハラ砂漠まで行ってバイクで走ろう!今やらなければこのまま一生悔いが残ることになるぞ・・・、ダカールラリーはちょっと重すぎるけど、サハラを走るのは何とかなるかもしれないぞ・・・、と決めたのは出発の約1ヶ月前のこと。小学6年生の息子にもそのことを話したら彼からは意外な意見が飛び出した。”パパ一人だけなんてずるいぞ”僕にも運転させてほしい!とほざく・・・。

16歳で取ったバイクの免許、偶然にも巡りあったカワサキW1に始まり、山岳道を走るホンダTL125は少年の頃の私を自然の中の夢の花園へと導いてくれた。私の青春と言えばその傍らにいつもバイクがあったんだ。そんな”バイクおたく”のような自分が20代半ばで辿り着いたモロッコには誰もが憧れるあの砂の世界、サハラ砂漠があった。夜行バスを乗り継ぎ、詐欺師に騙されながら辿り着いた先に見えるピンク色に輝く蜃気楼の中に浮かぶ砂漠は美しかった。いつか機会があったらバイクで走ってみたい・・・。当時日本のバイクはここモロッコにおいても高嶺の花。簡単に買える様な値段ではなく、なかなか手に入れることは困難な時代でした。そんな訳で、現地で知り合った友人のXT400の後部座席に乗せて頂きツーリングをしたり、これまた現地で知り合った人のバイクを借りて、世界一の迷路が続くフェズの旧市街を真夜中に走り回ったりと云わば”他力本願のバイク道”を不完全燃焼ながら精一杯満喫していました。


[出会い系バイクに夢中の頃・・]
マラケシュの大道芸人の広場、ジャマエル・フナを中心に町はどの方向へも大きな道路が走っている。旧市街を除いて新しく作られた町だけに、清潔で広々、実に気持ち良い。春には真っ盛りの熱帯樹や原色の花々が咲き乱れ、オレンジの樹々から芳しい匂いが発せられ爽やかな風に乗って肌に纏わり付く。天国だ・・。
 町が大きいだけに人々の足は様々。クラシック馬車がタクシー代わりにひずめの響きを路面に打ち鳴らし、オートバイが町中を掛け抜ける。美しい民族衣装を着たマラケッシュ娘達がバイクに跨り疾走する姿は眩しい。
 その昔、僕がまだ20代の初々しい若者であったあの頃に、今流行りの”出会い系サイト”なんてまだ無かった輝ける時代に、このオアシスの町では密かにオートバイそのものを出会い系の道具にしてしまった若者がいた!?動機はそれ程複雑なものではない。タクシーに乗ってぼられ、馬車の乗り方も理解できず、それでは歩こうとすれば、しつこいガイド達に付け回され、挙句は徳にもならない喧嘩沙汰・・。 そんなある日、ふと目の前の道路を見ると美しい娘達が乗るバイクが次から次へと走り去って行くではないか!勿論、髭の濃い目付きの鋭い叔父さんや、ふくよかな叔母さんの乗るバイクも有ったに違いないが、若い僕には見えなかった。ヒッチバイク?そうだ、そうしよう・・・。勇気を出して手を挙げればいいんだ。僅か数秒で白黒の勝負が着く出会い系ヒッチバイクはパソコンもメールを出す手間もない真剣勝負。嘘の記載も無ければ、他人の写真を送って相手を騙すことも無い直接対面の一発勝負である。まあ当時そんなことを考えていたかどうかは別にして、ヒッチバイクが始まった。結果は大成功、マラケシュの女性だけではなく、不惑の男性も年配の方々も本当に優しかった。色んな方々が親切にしてくださり、また多くの出会いが生まれた。
 あれから20ゆう余年。相変わらず目の前を走るバイクの数は増え続けている。替わったことと言えば、かつて主流であったフランス製モビレットバイクから日本製の中古スクーターに主役の座が移ったことか・・。 オレンジの香り漂う中、マラケシュ娘達の華やかな笑顔を乗せたバイクがさっそうと風と共に走り抜けていく・・・。(06,10,1)

[バイクや何処に?]
モロッコへの帰還は早1か月を切っていたので焦りを胸に、弊社カサ事務所のMに電話で打ち合わせに入る。兎に角日本製バイクの値段と在庫があるか否か問い合わせて欲しい。HONDAかYAMAHAの125CCか250CC、オフロードタイプの情報を・・・。2年前にはHONDA 250CC BAJAは確か日本円にして100万円程していたので厳しい。幾らなんでも高すぎるので断念した経緯があるので今回はどうか?暫くして現地から連絡が入ってきた。HONDA 125CCなら在庫があり値段も安いそうな・・。29800DH、日本円にして33万円ほど、しかも新車、安い!日本で買うのと変わらぬ値段に俄然勇気が沸いてきた。即買って走れる準備をしてくれないか?ついでに息子が乗る子供用のオフロードバイクも頼むことにする。(記6,10,6)

[慣らしを兼ねてカサ市内を走る]
7月25日、カサブランカの我が家へ帰宅。玄関を開けるや否やバイクに駆け寄る。美しいホンダのトレールバイクに見惚れる。キック(セル)一発で軽やかで逞しいエンジン音を響かせる。25年も前に毎日野山を駆け巡っていたあの栄光のトライアル車、TL125CCに似た音色・・・。この車が俺の足となりサハラ砂漠をお供してくれると思うだけで心が沸き立つ。翌日早朝、バイクに跨り先ずはカサブランカ市街(外周)を走ることにする。比較的空いている舗装路を走りながら見えるものは郊外に広がる貧しい人々の暮らす無数のアパルトマンとゴミの山・・。衛生観念など程遠い惨状にこの町の行く末を想像すると空恐ろしい。雨も少なく、水の貴重な地域とは言え、水を撒かずしてただゴミを地面にこするだけの清掃など殆ど意味を見出せず、バイクですら走るのに気が滅入る自分を自覚して早々に引き上げる。そう言えば我が家の近隣で朝から水を使い屋敷の周囲を清掃する家は自邸以外殆ど無いのも頷ける。とは言ってもモロッコ人のお宅は例に漏れず邸内は皆美しく磨き上げられているのに驚く。習慣や美的感覚の違いなのか?まあそんな訳でバイクの慣らしは砂漠に入ってから・・なんて流暢なことを考えながら時が流れる。(07.01.04)

[YAMAHA PW80CC購入]
7月28日:息子が乗る子供用のモトクロスバイクを探しにカサブランカ市内を朝から右往左往する羽目になる。最初に見つけたのはKTM80CC、価格は35万円余りする凄いやつ!いかにも走りそうだが値段の重さに半分諦め、他の店に行く。郊外のYAMAHA専門店にあったのは PW80CC。値段は30万円強と大してKTMと違いは無かったが他に選択肢は無く、泣く泣く身銭を剥いで払うことに・・・。子持ちは辛い。翌日息子は練習とばかりに大西洋が見えるモトクロス用の練習場に行き(カサ市内から50KM)颯爽と走り出す。初めて乗るバイクだがさすがに子供は慣れるのが早い。子供用とは言え馬鹿には出来ぬ凄いバイクで軽く時速80KMはでるようだ。(07/01/04)
(ブズニカの名ばかりのモトクロス場にて)




[いよいよサハラに向け出発]
気がつけば8月も半ばのある日、余りの仕事の多さに時が経つのも忘れ果て、痺れを切らした息子達に”もう我慢ならぬ!”明日出発無ければお前のバイクは爆破する?と脅しをかけられついに決断をする。明日早朝の出発となった。バイク2台は四駆に引っ張らせてフェズ経由エルフードまで南下することになる。カサブランカの気温は真夏とは言え30度前後で快適だがニュースによると砂漠は40度を軽く越えているとかで不安はよぎる。慎重に調整を済ませたバイクと四駆は準備万端。(バイクを牽引車に括り付ける弟に感謝)

[篠原選手は私にきょとんしていたに違いない?]
あれは6〜7年前、ダカールラリーがカサブランカ近郊をコースにとっていた頃の話。
まさに絶頂期にあった篠原選手が確かその前年にはクラスチャンピオンに輝き、2連覇に挑戦していたその当時、近郊の田舎道をラリーが通ると聞いいた私は”おんぼろパジェロ”に乗って見物に出かけて行ったんだ。コース付近は警察により封鎖され近寄りがたい状況の中であったが、コネと格好だけはラリー関係者のような派手な車に乗る日本人の僕には道は開かれていた。立ち入り禁止区域を遥かに越えたコーナーに陣取った私の目に入ってきたのは爆音を響かせあっと言う間に視界に入り視界から消え去る大型バイクの陰・・・・。数十台が走り去った後だったか、四駆が2台続けて近づいてきた。パジェロだ!その2番目にいたのが我らが”篠原”、私の立つコーナーでは必ず一度減速しないと回れない場所だったので彼はスピードを落とした・・・。周りには私一人!アラブ人でもない、ヨーロピアンでもない東洋人の私が大声で”しのはら”と叫んだのだから彼には確実に見えたはずだ!しっかりアイ・コンタクトをとり友情を交わし?彼は地平線の彼方へ走り去った・・・。
その後も延々と続くラリー車の群れ・・・。中でも大型モトクロスの爆走する姿は異様だ。人の少ない農道とは言え軽く130KMは越えるスピードで次から次へ走り去る姿に感動以上に狂気を感じる。獲物を追いかけるドッグレースのように前後左右の意識も無く陶酔して先を追いかける生き物の本能、死が紙一重の状態で絡み合うレースを目前にして異常な興奮と心臓の鼓動だけが記憶に残っていた・・・。

(不幸にも私の予見は現実のこととなり、07年度本ラリーにてナドール〜ラシディア間を走行中の南アフリカの選手がバイクで激突死した。ご冥福をお祈りします)

今年もダカールラリーはポルトガルを出発。親交のあるラリーアートの皆さん、頑張ってください!不幸にしてモロッコでリタイヤを余儀無くされた関係者の皆さん、弊社がバックアップしますのでご心配なく。長丁場のラリーですが完走を目指して頑張ってください!!!

2007年度・ダカールラリー最新情報

[高速道路を通りいにしえの都フェズへ]
先に送り出した家族は既にフェズに向かい、四輪駆動車組の我々は朝5時出発。真夏と言うのに23度前後しかなく涼しい。カサブランカからはフェズまでまあ快適な高速道路が走っている。大西洋の海岸を横目にランクルは快調に走る。カサブランカ〜ラバト間約90KMで20DH(240円)位と偉く安い。ラバト〜フェズ間とて200KMの距離なのに70DH(1000円)前後だったか?やっぱり偉く安いよね・・。それでも庶民には高いのは当然で、多くの車が旧道を走るのもうなずける。お陰ですれ違う車の数も殆ど無く快適。フェズに近づくにつれて、背の低いブドウ畑が続く。フランス仕込のワイン作りの畑がこの辺りには多い。4時間ほどでフェズ到着。馴染みの宿メリニデスホテルで本日は1泊。

[アトラス山系を越えサハラ砂漠へ]
湿度が低いせいか内陸部の町フェズとて朝は涼しい。今日の行程は南へ下ること400KM以上。かなりハードな旅になることは間違いない。舗装路とは言え狭いカーブも多く危険な走行になるので運転はより慎重にならざるを得ない。フェズを出ると美しい緑の丘陵地が続く。やがて中アトラス山系の山並みが見え、避暑地イフラン、冬にはスキーも出来る森林地帯ミシュリフィンに入ってくる。アトラス杉の見事な密集地に驚かされる。

この辺りは昔、ライオンが生息し僅かだが豹は今も生息していると聞く。また珍しい野生のサルの宝庫で、かってNHKの番組で関わりがあり森林深く分け入り探し回ったこともあり僕自身懐かしく思い出す。モロッコで最も雪の深い地方がなるほど、この地域一帯なのもうなずける光景だ。灼熱地獄のサハラへ向かう一時、自然のクーラーは我々の心を冷静に冷やしてくれるオアシス。

[高原の町で鱒料理に舌鼓]
標高1500M〜2000Mの高原地帯数時間走るとやがてベルベル族の暮らすミデルトの町に着く。アトラス山系の十字路、右折すればカスバの故郷といわれるイミルシルの村へ、南下すればサハラ方面への分かれ道。空気が乾燥し直射日光が容赦なく降り注ぐが空気は爽やかで心地良い。馴染みのホテルレストラン、”アヤシ”にて昼食。鱒の塩焼料理や美味しいパンプキンスープ、りんごのデザートを頂き身体を休める・・、と言っても子供達は元気一杯!10年来の名物給仕の叔父さんも元気に働いている。ミデルトからアトラス山中を抜けてダデス渓谷に抜けるコースも最高に面白い。来年は山岳コースを走ってみようか?       (右上写真:アトラスンパンプキンスープに感激)

[ジズ大渓谷を行く]
高アトラス山系を縦断し月面のような渓谷を抜け徐々に標高は低くなってくる。西部劇に出てくるような荒涼とした禿山が幾重にも連なり、山合いに崩れかけたカスバが見え隠れする。日は西に傾き掛けてはいるが、気を抜けない暑さが頬を伝わる。さすがにこの辺りまで来ると鼻の穴がカサカサに乾燥し土の匂いが喉にこびりつく。渓谷を流れる水は地上には見えないが僅かな岸辺には小さなオアシスが形成されていて緑が確実にその生を主張している。

地球創世記、高アトラス山系から流れ出た大洪水はジズの渓谷を削り取り、やがて緩やかな水の流れとなり不毛の大地、サハラへと続く。エルラシディアの町を抜け、地底のオアシスが見え隠れする。ここからサハラの前線の町エルフードまでまだ100KMはある。ジズ川の川床にナツメヤシの林が連なり黒いベールを全身に纏ったサハラウイの人々が暮らす集落が続く。美しい光景に息を飲むのも頷ける。映画シェルタリングスカイの中でも流れていた風景・・・。今年は雨が多かったせいか、川面も微かに見え隠れする。

[ サハラを夢で追いかけて]
午後4時頃、西日の中を車はオアシスの谷間を駆け抜ける。感動と言う名の疲労と興奮を背負い子供達はうつらうつら・・・。本日の走行距離はフェズからアフリカ大陸をまっすぐ南下すること400KM余り、夕刻と言えども外気は40度を軽く越えている。

[サハラはこんな風に見えて来るんだ・・。]
地平線の彼方に砂山が見えてきた。砂の吹き溜まりが小山になってキラキラ輝いている。ちょっとした地形の具合や自然のあんばいで落ち毀れの砂山が誕生し数千年の時と共に砂漠へと成長をする。アスファルトの道路上も徐々に砂が被さり砂塵が舞っている。前方に緑のオアシスが見えるようになってきた。きっとエルフードの町に違いない。

[サハラの前線の町にて]
黄昏時、我々の車は緑に覆われたオアシス、エルフードの町に吸い込まれていく。結構大きな町だ。サハラ砂漠への基点の町ゆえ近年観光客の増加もあり発展を遂げつつある活気が漲る。砂漠色の町並みと自転車が多い風景にどこか懐かしさが込み上げる。湿気が殆どない砂漠地帯なので暑くとも日本のそれよりは遥かにましだ。冷やし飴も麦茶もそれ程ほしいとは思わない。

[やっとサハラに着いたよ]
エルフードの町を抜け所にあるホテルに到着。バイクを地上に下ろし各部の確認をする。カサブランカから2日がかり、800KMの距離はさすがに長い。静寂なる乾いた空気を突き破って走り去る車の爆音がすぐ傍の幹線道路から轟く。ここから30KMも走れば不毛の砂漠、サハラだ。

[朝の砂漠は素晴らしい]
あのカリスマライダー、加曾利隆氏に憧れて、サハラを走る夢をいつも抱いていた十代の頃、あれから30年以上の時を経て今自分が居るこの不毛の大地サハラ。感動がじわじわと湧いてくる。さあ、朝飯を食べたら地平線の彼方へ走り出そう・・・。気持ちの高ぶりを抑えるのが大変だ。サンダル履きでホテルの周りをぐるぐる回る自分に思わず”爆笑”。

[真夏なのに涼しい朝のリサニの町]
リサニの町で水分補給しいよいよ砂漠に向かう。真夏なのに大阪よりは涼しいと感じる。湿気が少ないからだろう。ヘルメットが重たくしんどいのはきっと年齢のせいもあろうが兎に角嬉しい気分だ。この町での庶民の足は自転車。みんな頑張っている。

[砂が香る最果ての村]
オアシスやナツメヤシの森林の彼方から吹く風は砂の香りがする。コーナーを一気に抜け町を出る。土塀に囲まれた住民のカスバが見え隠れ。直射日光がきついのでじりじり皮膚が熱くなる。ジャンパーも着ないで俺はライダーとしては失格だなんて考えながら先を急ぐ。



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