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取材撮影コーディネート

カサブランカ空港内、出国ロビー左50M
日本人デザイナーが企画製作したオリジナル商品/高品質伝統品/アンチック/トアレグ銀細工/革バック/ベルベルキリム、絨毯各種/バッブーシュ/寄木細工/民族衣装他豊富
北モロッコ タンジール アシラー ララーシュ

TANGER
スペインからフェリーに乗り、わずか2時間30分で着くタンジェ。「アフリカへの玄関口」と「ヨーロッパへの抜け道」として毎年多くの人がこの町を訪れる。この地中海の端の町は、古くから様々な民族に狙われ支配されてきた。ギリシア神話によると、海神ポセイドンの息子、アンタイオスが妻の名、TINGISをこの町に付けたといわれている。BC2千年から1千年の先史時代にはベルベル人を最初の住民として既に都市が存在していたという。BC146年、フェニキア人の支配が終ると、その後100年間モーリタニア王国の首都となる。ローマ人が北アフリカまで力を伸ばすと、ローマはケルト人騎兵隊を置き、タンジェを駐屯地とする。8世紀にアラブ人とイスラムに改宗したベルベル人がタンジェを制圧し、イドリス朝、コルドバの後ウマイヤ朝の支配を受ける。1499年レコンキスタの影響で、15世紀から16世紀にかけてポルトガル、スペインにより代る代る制圧され、1661年にはポルトガル王女とイギリスのチャーチル・世の結婚に際して王女の持参金となり、イギリス領となる。

約20年後の1684年、ムーレイ・イスマイルがタンジェをイスラム教徒の手に戻すが、 以後、西欧の列強支配が約2世紀間続く。1905年にはタンジェにてドイツ皇帝ヴェルヘルム・世がモロッコにおけるフランス、スペインの企みを暴き、これが翌年のアルヘシラス会議開催のきっかけとなる。1912年フランスとの間に保護領条約が結ばれるが、列強はタンジェの処理を決定しかねていた。 1923年、ついにタンジェは国際管理下におかれ、自由貿易、政治・軍事的中立のもと町は急激に繁栄する。外国資本があふれ、あらゆる種類の職業の者が活躍する。40年代にはテネシー・ウイリアムズ、ポール・ボールズ、ジャン・ジャネ、トルーマン・カポーテイといった芸術家がこの町を愛オた。1940年から45年の第二次世界大戦時にはスペインがタンジェの覇権を握るが47年にモハンマド5世が民族自決を呼びかけ56年の独立宣言と共にタンジェはモロッコに返還される。

LARACHE

首都ラバトからタンジールへ抜ける大西洋岸の町はスペインにも近く美しい風情を今に残し、また観光客もさほど多くないので穴場的な場所である。溢れるほどに輝く陽光、真っ青な大西洋の海の色が白壁に照らされ陽炎を生む・・。

ASHILAH

アシラーの旧市街はこじんまりとして静かな雰囲気があり訪れる価値はある。夏には芸術家が集まり賑わう。黄昏時、西日に浮かぶ旧市街の光景は幻想的だ。右写真はアシラーの旧市街が陽光に映し出される。大西洋の澄んだ空気が街全体を包む。



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