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取材撮影コーディネート

カサブランカ空港内、出国ロビー左50M
日本人デザイナーが企画製作したオリジナル商品/高品質伝統品/アンチック/トアレグ銀細工/革バック/ベルベルキリム、絨毯各種/バッブーシュ/寄木細工/民族衣装他豊富
世界遺産 メクネス ボルビリス 聖地巡礼

【古都メクネス】
世界遺産メクネスの歴史は、9世紀にベルベル人のメクネッサ・ゼイトーン族がこの地に定住し始まる。アルモハデス朝、メリニド朝のもとで町は繁栄するがメリニド朝の衰退にともない町も活気を失っていく。古都の栄光は17世紀ムーレイ・イスマイル王の時代に花開く。1672年にアラウイー朝の後継者となったスルタン、イスマイルはメクネスを都とし次々と巨大な城壁、壮大な門、穀物倉庫、カスバなどを建てる。王は同時代に君臨したフランスのルイ14世に憧れ、あのヴェルサイユ宮殿をとても好んでいた。その熱意はフランス王に娘をくれと懇願するほどだった。(結局この申し出は、拒否されたが)55年間この町を繁栄させたムーレイ・イスマイルは1792年に亡くなる。

死後のメクネスは衰退し、歴史の舞台はマラケシュやフェズへと移っていく。1912年フランスとの保護領条約締結後、メクネスはフランスの軍事基地の中心になり、肥沃な土地に目をつけたフランス人農家が連れ立ってメクネスにやってくる。メクネスは現在ではフランス人が導入したワインの一大生産地だ。現在は人口約50万人の静かな落ち着いた町だが、ムーレイ・イスマイルの遺産を訪れる巡礼者、観光客の姿は絶えない。

【聖地ムーレイイドリス】
ムーレイ・イドリスはメクネスから車で30分余りの山の上に位置しモロッコ最高の聖地、聖者の町として知られ、夏にはモロッコ各地から巡礼者がやってくる。ここでモロッコ初のイスラム王朝、イドリス朝が創始された。預言者モハマドのひ孫、イドリス一世はバグダードのアッバース朝に反乱を企てるが失敗し、786年ムーレイ・イドリスの向かいの町、ヴォルビリス(アラビア語ではワリリ)に亡命してくる。

イドリス一世は原住民(ベルベル人)をイスラム教徒に改宗させる事に成功する。ベルベル人はイドリスを預言者の子孫として敬服し、イドリスの人気は徐々に高まっていく。彼がさらに力を持つと恐れたアッバース朝スルタンは刺客を送り、791年、イドリスを毒殺してしまう。彼の死後、息子ムーレイ・イドリス2世が後を継ぎ、王朝の中心はフェズへと移っていく。ムーレイ・イドリスの遺体は、町の中心にある緑色の三角屋根の霊廟に収められている。現在でも、この霊廟に非イスラム教徒は足を踏み入れることはできない。さらに、80年程前に解禁されたが、それ以前は町全体が聖域になり、非イスラム教徒は立ち入ることができなかった。夏の巡礼の時期以外は、町はまるでイドリス一世の記憶を抱え眠りこけているようだ。

【世界遺産 ローマ遺跡 ボルビリス】
モロッコ最大のローマ遺跡ヴォルビリス。メクネスから車で40分ほどで行くことができる。また聖者の町ムーレイ・イドリスからは5分という距離。緑豊かなこの地域にふっと現れる遺跡は幻想的で、カラカラ帝の凱旋門に立つと、まるでイタリアにいるような錯覚に陥る。ローマ帝国以前、紀元前2世紀頃から人が住み始め、モーリタニア王国のユバ2世がここに都市を建設する。

「月桂樹」という意味の「ワリリ」と名付ける。紀元前40年以後、ローマ人の支配下に入り、2万人もの人口を抱える町に発展する。発掘された大富豪の屋敷、美しいモザイク・タイル、油の製造所、公共浴場等を実際に目にすると、この町の繁栄を感じる。3世紀末にはベルベル人の圧迫により町は衰退し、それに続く8世紀のイスラム化に伴い、イスラムの町となる。しかし、フェズの繁栄に反して町は徐々に衰退していき、1755年のリスボンの大地震で町のすべてが埋没。1874年フランス人に発見されるまで、町はこの世から姿を消す。全長2400mの城壁に囲まれた40ヘクタールもの敷地をもつこの遺跡は、現在も発掘作業が続けられている。



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